危急時対策の立案の必要性
1995年の阪神淡路大震災が発生したとき、被災地に拠点を持つ多くの企業が大混乱に陥りました。私が当時所属していたリクルートでも、通常の営業体制(広告営業)や生産体制(広告制作・印刷・配本)・納品体制(書店などに配送)を行おうと、震災発生後も各部署が努力をし始めました。しかし現地の惨状、特に多くの死者が出たらしいことが報道されるようになり、通常業務を続けていいのかという疑問もすぐ湧いてきました。何時間経って出社できる人間がオフィスにやってきて情報が集まり始めると、交通の問題で出社できない・連絡取れない人間が相次いでいることや、納品についても被災地は配送どころではないこともわかってきて、おそらく当日のうちでしたか、大阪およびその周辺での業務を停止して、ほとんどの社員は自宅待機するということにいたりました。数日後、現地では救助が進み、火災も鎮火し、被災地域以外では生活に落ち着きを取り戻し始めた頃、業務再開を模索することになります。
しかしそれは簡単なことではありません。まずは震災のタイミングで進行していた情報誌の発行が止まっています。受注したが掲載できなかった広告費は払い戻すのか、それとも次号で掲載するのか、誰もそんなこと事前には決めていません。生産途中の部材・配送途中の印刷物の廃棄は、誰の責任とコスト負担で行うのか、誰もそんなことを事前には決めていません。このような途中で発行停止になった雑誌の後処理の諸問題を片付けると同時に、発行再開のために何をしなければいけないかを検討し始めることになりました。誰もが初めてのことで、私は関西の担当ではありませんでしたが、苦労は伝わってきました。
このような大災害での対応含めて、業務が止まってしまうことがあります。停電や事故もそうですし、取引先や納入企業・関連企業の倒産などで業務が止まることもあります。その時に何が起きて、どのように対処するかを決めておく、それが危急時対策=コンティンジェンシープランと言われるものです。